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軍鶏屋さんワークショップ
8月22日(土)に、鹿沼市の「軍鶏屋」さんのご協力を得て、ワークショップを行いました。コロナ禍で、企業見学に行けなくなってしまったこともあり、就労に対する視野を広げるために、軍鶏屋さんの店主の石川さんに、どうして焼き鳥屋さんを始めたのか?また、栃木しゃもにこだわる理由は何かのお話をお聞きしてから、焼き鳥を焼く体験をさせていただけることになりました。土曜日だったので、卒業した就労移行のOBさんや、就労継続B型のメンバーも一緒に参加しました。
栃木しゃもとは、フランス料理の高級食材として知られている「プレノワール種」と卵をたくさん産む「ロールアイランドレッド種」と肉の旨味に定評のある「軍鶏」を交配して、放し飼いで大切に育てたしゃもだそうです。狭い鶏舎内で短期間に育てられるブロイラーとは違い、栃木県の豊かな四季の変化、清らかな水、澄んだ空気の中で栃木しゃもは、手間暇かけて育てられるため、噛むほどに味わい深く美味しい鶏肉になるそうです。
石川さんが栃木しゃもを知ったきっかけは、知人の石澤さんでした。石澤さんは順調だった会社の経営をやめて、ドイツに燻製の勉強にいき、その後鹿沼市内で軍鶏の生産を始めたそうです。石澤さんは、3年前お亡くなりになってしまいましたが、お葬式の時には、安部総理夫人からも花輪があがるくらい交際範囲が広い人だったそうです。アメリカのオバマ大統領夫人にもしゃもを食べていただいた事もあり、「栃木しゃもは美味しい」と言われたそうです。石澤さんは、豪快で面白く、とても魅力的な人だったそうです。石川さんは、石澤さんの意思を継いで、栃木しゃもの名前と素晴らしさを日本中に知ってほしい。と思うようになったそうです。
そんな石川さんが、焼き鳥屋さんを始めようと思ったきっかけは、東日本大震災でした。当時消防団に入っていた石川さんは、震災直後、消防車で被害状況を調べるために巡回していて、津波が起きていたことは知らなかったそうです。自宅に帰ってTVを見て初めて知ったそうです。地震が1回きて、人間は何万人も死んでしまうんだと大変ショックだったそうです。お亡くなりになった人達に対して、きっとやりたい事とかあっただろう。さぞ無念だっただろうと思ったそうです。そして悔いのない生き方をしたい。と以前から考えていた栃木しゃもの焼き鳥屋を始める決意をしたそうです。トタン1枚のプレハブみたいな小屋を建てて、焼き鳥屋を始めたそうです。狭い小屋で、煙がモクモクの焼き鳥屋さんは面白かったし、シャモにこだわっていて美味しかったので、消防団の仲間が毎晩のように来てくれて、口コミですこしずつお客さんが増えてきたそうです。「軍鶏のおかげでいろんな人と知り合うことができ、いろんな人に助けてもらった。そして感謝する気持ちがどんどん強くなった。現在の奥さんと出会えたのも軍鶏のおかげ、お子さんと出会えたのも軍鶏のおかげ、軍鶏が子供を運んできてくれた。まるでコウノトリだ。」と目を細めて話してくださいました。
そして、メンバーたちへのメッセージとして、「現在のお店も、仲間が色々と手伝ってくれた。本当に感謝している。お店は、たくさんの人の協力によって成り立っている。自分一人では、何もできない。お店に限らず、人は、一人では生きていけない。いろんな人がいて自分は生かされていると気付いた。今の自分があるのは、いろんな人のおかげだった。良いこともあれば辛いこともあるが、ヒントを見つけて自分を高めていけると良い。《私はこれをやるぞ。私はこうしたい。》と決めていると、不思議な力が働くので、いつも強い心を持っていると良い。そして、人といつも触れていて、感謝して、素敵な人だなって思いながら暮らしていくことが大切。いろんな人がいる。それぞれ一生懸命頑張って生きている。無理せず、目の前にいる人を大切にして繋がり続けることが大切。」と話してくださいました。
その後、備長炭での焼き鳥体験をさせていただき、自分で焼いた焼きたての焼き鳥をいただきました。軍鶏を初めて食べるメンバーもいて、美味しさに驚いていました。
体験後、参加したメンバーたちは、それぞれの感想を伝え合いました。そして栃木しゃもと石川さんの魅力を一人でも多くの人に知ってもらいたいと、イベントを企画することになりました。9月中に準備をして、10月末頃に実行する予定です。密を避けつつ、コロナに負けない「軍鶏屋」さん応援プロジェクトをどうぞお楽しみに!